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後世への最大遺物

自分にとっての生きがいとは何か。何のために生きるのかついて考え悩んだことはありませんか。

セルフマネジメントにおける自らのビジョン(意義ある目的)を定める際にキリスト教思想家・文学者である内村鑑三の著書「後世への最大遺物」がとても参考になります。私がこの著作から学んだことについてお話します。

この本は内村が33歳で日清戦争があった年(明治27年)に箱根で行われたキリスト教の夏期学校での講演録です。講演は「後世への最大遺物」という題で行われました。なんともスケールのおおきな演題です。若干33歳でこのような題での講演ができるなんて凄いなと思いました。ページ数が少ないですが、気持ちが伝わる文章ですので、ぜひ皆さんも読んでみてください。後半に書かれている「デンマルク国の話」も非常に興味深い内容ですのでこちらはまた別の記事にしたいと思います。(後世への最大遺物・デンマルク国の話(岩波文庫)

この講演の中で内村はまずこの世において一つの希望があるといいます。それは・・。

「私に五十年の命をくれたこの地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくない(中略)この世にいるあいだに少しなりともこの世の中をよくして往きたいです。」

この時代にすでに自然環境に対する感謝の念を示し、世の中をよくしたいという思想はまさに現代必要とされる「持続可能な開発目標」(SDGs)の達成を目指す姿勢だと思いました。

寿命を迎える日までにに何を置いて逝くか、お金、事業、書物など。しかし、これらは誰でも遺すことができるとは言い難い。そこで誰でも残すことができる最大の遺物は「勇ましい高尚なる生涯」であるといいます。これは大きなことをする才能がなくても誰でも遺せるので「最大の遺物」である。

勇ましい高尚なる生涯とは

勇ましい高尚なる生涯とは以下のようなことです。

「この世はこれけっして悪魔の支配する世の中にあらずして、神の支配する世の中であることを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中ではなくて、歓喜の世の中であるという考えを我々の生涯に実行して、この生涯を世の中への贈り物としてこの世を去ること。」

気候変動、社会の分断、核の脅威、原子力発電の推進など、ますます状況が悪化している現代においても、悲嘆せず希望を持ち、歓喜の世界に変える勇気を持ち、暴力に依らずスマートなやり方で実行することです。

この世の中は必ずしも正しい者が多数であることはなく、高尚な生涯を全うするには様々な困難が伴います、しかし内村は以下のよう表現します。

「邪魔があるほど、われわれは事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことが出来る。とにかく反対があればあるほど面白い。友達がない、金がない、学問がないというのが面白い。」

意義あることと自分が思うのであれば、困難があるほどそれを成し遂げる価値があると考え、それを「面白い」と思い一歩ずつ進んで行く人生が、我々がすべきことであり、後世に勇気を与える。